[イベントレポート/前編] 森田真生トークライブ「本を読むこと、本を書くこと」
2023年07月05日
2023年5月20日(土)に開催しました、読むことを哲学する時間 Re:cord森田真生トークライブ 「本を読むこと、本を書くこと」のレポートを前編/後編にわけてお送りします。
Introduction
本を読むと、景色ががらりと変わってしまうことがある一。 Re:cordは、「読む」ことの創造性やおもしろさを見つけ出していく試みです。 第3回目、京都より独立研究者の森田真生(もりた まさお)さんを講師にお迎えしました。 きっかけとなったのは、昨秋、ご著書の『偶然の散歩』(ミシマ社)に出会ったことでした。 どのエピソードも、瞬間瞬間の風景や起こっていることをありありと感じられる・・とても奥行きあるその言葉の一つ一つは、なんてシンプルなのだろう・・そのことに、まずとても驚いたのでした。 イベントに寄せて、森田さんからはこんなテーマとメッセージをいただきました。
”子どもの成長や季節の移り変わりを早回しにできないのと同じように、 何かと出会い、何かがわかるためには、
「本を読むこと、本を書くこと」(■ 全文はこちら )
しかるべき時間が必要です。 本は「時間をかける」ことに、どこまでも付き合ってくれるメディアなのです。”
“届くまでに時間がかかるということ、いつ、だれに届くか制御できないということ。
この不可避の遅れと、行先の偶然性は、本が僕たちの思考と言葉にもたらしてくれる、大きな恵みだと思います。”
本を読み、本を書くーというのは、森田さんがこれまでにあまりお話しされたことのないテーマだそうです。数学、哲学、植物、詩、子ども、宇宙....あらゆる関心からアプローチして思索を深められている森田さんから、どのようなお話を伺えるでしょうかー /////////////////////
「本を読むこと、本を書くこと」 「本を書いている時には、迷い、逡巡し、書いて消して直し、もう一回推敲し、消し、なくなりそうになり、 もう一回書き、ということを繰り返したりする。 いまこうして立って話している時も、頭の中でいま話すことができる可能性みたいなものが枝分かれしている。 ライブの場は、一期一会。一度しかないこの瞬間に、どういう言葉を発するか一」
トークが始まると、さっそく今日のテーマに近づいていきます。 Re:cordの最初の講師 ─言葉に魂が宿るのはどのような時かを考え抜いた─ 古田徹也さんの哲学について、 「一つの言葉を選択するまでの迷いや逡巡こそが、言葉の魂をつくっているのではないかと、 彼は論じている」と、まさに今この場に立ちながら、第1回目からのプロセスを共有してくださいました。 言葉を、一度身体に通してから発することも、一冊の本をじっくり読むことも、時間のかかることです。すぐに反応したり、ただ反復していく速さを求められたりする中で、自分なりに大切だと思う何かに「時間をかける」ということは、気力のいる態度でもありますが、 森田さんは、自然物の構造や、執筆について、庭仕事などの具体的なエピソード、 本の紹介も交えて、時には会場にも気さくに声をかけながら、みずみずしくその意味を伝えてくれました。
「例えば、これどこの水でしょうか?」 手元の水(無殺菌・無除菌のイタリアの鉱水)を手にとって、採水地などラベルを確認すると、 大地の中を水が通って浸み出してくるまでの運動を、言葉でいきいきと描き出していきます。
雨水が、山の樹木の根の働きなどによって地中で上下動を繰り返し、フィルタリングされていく、こうして生み出される水の流れの壮大な「遅延」が、本来、水の新しさを支えているのだといいます。 地上の交通の便利さが重視されていった近代では、遅いことは一般に「悪いこと」であり、 「遅れてはいけない」という恐怖心は、私たちの中にたしかに強くあります。
けれども、生命システムがどのように生まれてきたのかを遡ってみれば、 そもそも「現在」しかない光の世界に、生命は多様に「遅延」を生み出してきたのだ、と見ることもできると、森田さんは平井靖史さんの著書『世界は時間でできている』を参照しながら語られました。
体がもっているしくみ、その複雑なネットワークの連携を通して、ある事態に遅れて反応する。
生きているシステムは、それぞれに固有の「遅延」をもっていて、自然にはそうした遅延が生み出す時間の層が多様に重なり合っている。
木々や虫たちの動きの間に、光の移ろいの表情が生まれる。
同じ風が吹いても、生き物たちがどのように応えるか、
さまざまな応答の「時間差」が豊かにある環境に安らぎを感じたり、いい場所だなという風に感じたりする─
そのようなお話からも、「遅延」のもつ意味を、深いところでイメージできた気がします。
「本」もまた、複数の時間を生み出しています。 「思考をライブで共有する」ということをずっとされている森田さんにとって 目の前にいる人に語る言葉と、書き残す言葉は、とても性質の違うものなのだといいます。 そして、本を書く時には、 「もう自分がそこにいるのかどうかさえわからない、未来に向けて書いている」 「それ自体が自律的にそれ自身で立つことをめざして書く」 という言葉がありました。 そして、 「生きているので、また新たな何かを吸い上げて、何かが生まれてきてしまう」のだとも。 アラカシの木、ハコネウツギ、蝶、クマンバチ、アシナガバチ、ハバチの幼虫、モリアオガエル… 森田さんが日々手がけ、観察する「庭」から、数え切れないくらいたくさんの生きものが話題にのぼります。 本は、一つに綴じた形式をもち、あらゆる人がアクセスできる、近代を象徴するようなメディアですが、 書くという営みの外に、また書くことへとつながっていくような出来事が広がっているのだと感じました。
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